第8章
息子へ引き継ぐこと
息子は高校を出てからアメリカに留学しました。テキサスの短大で美術を専攻していたようです。当時僕は丸紅カーリースシステムの新潟の代理店をやっていたのですが、うちは全国でも指折りの代理店でした。僕がアメリカに招待旅行で行ったとき、息子とロスの空港で待ち合わせして旅行に同行させたんです。そのとき社長に「卒業したら丸紅に入れてやる。現地法人で10年くらい勤めて日本に帰ってきたらエリートになれる」と言ってもらったんです。それはいいなと思ってたら、ひょこっと帰って、整備工場をやる、と言ったんですよ。
うれしい反面、心配でしたね。半々です。息子が帰ってきて会社半々です。息子が帰ってきて会社に入ってからの方が、僕自身が仕事に熱が入ったというのは間違いないですね。もともと、会社を継いでほしいとはあまり思ってなかったんです。この先も景気がいい業界だったらいいけど、車の性能はどんどんよくなって整備需要は減るし、少子高齢者社会で車の台数も減っていくからね。
70歳から9カ月たった11月に、息子にバトンタッチしました。そのときの相続の関係で一度だけ計画的に赤字を出しましたけど、そのあとも息子はきちんと黒字を出してくれています。
息子には、やっぱり社員から慕われる社長になってほしいですね。息子にはできると思いますよ。社員から慕われるというのは、事業をちゃんとやって、うまく配分するということですよ。こき使ってたり低賃金でやってたら、そうはなりませんから。
僕は息子に、商売の仕方がこうだとかああだとかあまり言いません。義理とか恩は大事だよとかそういう抽象的なことしか言わないです。それを本人が咀嚼(そしゃく)して、いいように受け取ってくれてるんだと思うんです。
社員に伝えたいこと
会社がどれだけ社員の人生の経済的な部分をカバーできるかわからないですが、人生には自分の努力ではどうしようもないことがあるんです。不条理なこと、不合理なこと、世の中にあふれるくらいあるじゃないですか。そうなったとき、やはり大切なのは自主自立の精神だと思います。自助共助公助というのがあるのなら、最初に自助。それを高らかに掲げて生きていってほしいなと思います。希望通りにいかなくてもそれに負けないで、自分の人生は自分が最高責任者という気持ちでやっていってほしいですね。
僕はこんな病気をわずらって、今はステージ4です。人生3つ目の大きな試練ですね。余命いくばくもないですが、今人生を振り返って、悔いはないです。まぁ、もうちょっと酒を飲みたかったな、というのはありますけど(笑)。
うちの社員にも、そうあってほしいんですよ。死ぬときに、自分の人生はいい人生だったなと思えるような、負けないで、後悔のない人生を送ってほしい。
社員に求めるのは、学問的なことではなく、人間力です。勇気を持って自分の殻をどんどん破って困難を乗り越えられる人間になってほしいと思います。
僕は試練に直面したり挫折をしたことが何度もあります。でも、挫折しても、もう一度立ち上がっていかなきゃならん。それを僕はうちの社員にずっと言ってきました。過ぎたことはしょうがない。過ぎたことは戻りませんから。でもそれを教訓として、そこからまたスタートを切ればいいじゃないかと、今まで話してきました。そこから頑張れない人と頑張れる人がいるけど、うちの社員はみなそこから頑張れる人たちです。
だからわりとうちの連中は意識が高いです。お客さんへの接し方とか、人間的にはしっかりしてると思いますね。
どんなに言って聞かせても、理解できない、理解していても内気でお客様に挨拶できない、そういう人もいますけど、クビにはしません。配置転換して、その人たちが生きる場所で、最後までうちにいてもらいたいなと思います。