第7章
ISO取得
平成12年にISOを取りました。自動車屋さんでISOを取ったのは、新潟県では最初です。経営者が一番悩むことは、社員をどう把握していこうかというところだと思うんです。そういう中で、ISOという規格の中に社員を当てはめていこう、その規格通りにやっていけばできるだろう、その方が楽だろうということで始めたんです。
ところがやってみたら、社員は1人1人感情があるから規格の中には落とし込めないんですよ。コミュニケーションを深め課題を共有し、同じ方向に向かって社員1人1人の意識を高めることによってよくなるものなんです。
ISOは維持費もかかるんですけど、破棄しないで維持しています。というのは、ISOに認証されている会社であるというのは大きなセールスポイントになるんですよ。コバックというのは低価格戦略なので、品質を疑われる。その点でも、品質規格であるISOがあった方が強みになりますね。
ISOを取っているというのは、先方さんに安心感を与えます。ISOを取ったことによって売り上げにどれだけ貢献しているのかはわかりませんが、取ってよかったですね。
60歳から新しい事業に挑戦
トラック市を始めたのは、僕が60歳のとき。当社はお客さんがほとんど個人だったんです。これから先、少子高齢化していく中で、個人だけではなく、法人も必要だなと考えました。法人となると、ライトバンやトラックです。そんなことを考えて、トラックの販売を本格的にやることを決意しました。
平成15年4月9日、全社員が集まった慰労会の席で、僕はトラックの販売をやると言いました。そうしたら全社員が大反対です。女房も大反対でした。なんで60歳で新規事業をやるんだと。トラックと乗用車ではまったく世界が違いますしね。でも、絶対やると決めていました。僕はおっかながりで、なにかをやって失敗するのが嫌だから最悪な場合を考えるわけですよ。その上で決断して、決断したらもう変えません。
この気持ちは、山登りで培われたと思います。山というのは、道路標識もないところを常に自分で考えて登るわけです。リスクに対する備えをすごく考えるんです。その代わり、決断したら徹底的にやる。それが僕の気性なんですね。やらないと答えが出ないというか。
でも、楽ではありませんでした。毎週水曜、土曜の朝3時に起きて車で高速を飛ばして関東まで行くんです。展示するためのトラックの仕入れが目的です。60過ぎてますから、体がきついんですよ。トラックを始めて半年くらいのときでした。いつものように、朝3時に起きて運転していたら、赤城のあたりで涙がぼろぼろ出てきてね。100キロくらいで走りながら、涙がぼろぼろ出てくる。なんで、この年になってこんなことやらなきゃならないんだと思ってね。でもそれは自分が人を育てなかったからだ、と気づいたら笑えてきました。トラックのことがわからないんだから、少しずつでも任せられるようにと、トラックに詳しい元社員を引き戻して、他の社員も教育して。手探りでしたが、同友から教えてもらいながら、自分たちの強みを伸ばしていきました。
おかげさまで、トラックも15年くらいたつかな。順調ですね。金機関にも信用があります。それまでの土台や社員が頑張ってくれたおかげですね。
うちはトラックの品質にこだわっています。それがすごく評価されていて、購入いただいているのが農協さんやディーラーさんなんかの同業者なんですよ。トラックの販売は商圏が広く全国なんです。トラックの専門店なんて、そうないですから有利ですよ。数多く、いいもの持っていれば全国から注文がきます。最近は大手が参入し、競合することも多くなってきましたけどね。
以前、経済が順調なときは小さいところが大きいところを食いつぶす、ということもできたんですよ。小さいところはフットワークがいいからね。でも今はできないです。やっぱり大きい会社が小さいところをつぶしていくんです。投資ができない会社は難しいですからね。要は、資金調達能力があるかどうか。それがうちの業界でやっていける決め手になると思いますよ。それはつまり信用です。
信用というのは、1年や2年じゃ作れない。特に金融機関は本当に厳しいですから。その信用を、僕が土台として作れたと思いますね。
整備工場には、認証工場と指定工場の2種類あるんです。指定工場では整備も検査もその会社でやっていい。うちは指定工場なわけですが、指定工場の1年間の平均の車検件数は今500台割ってると思います。でも、うちの会社は今4500台。20年以上かけて、そういう土台を作ってきました。お客様とのつながりを大事にしてね。