今日から明日へ創業ストーリー 今日から明日へ創業ストーリー

第4章

退職、ヨーロッパ遠征の挫折

昭和48年に退職して、仲間とヨーロッパ遠征を計画しました。仲間は3カ月だけ会社を休んでということでしたけど、僕は退職して、3年間ヨーロッパにとどまるつもりで向こうに荷物を送っちゃったんですよ。向こうのパン屋さんに就職口も決まっててね。合計6人で行く予定でしたが、実際には行かなかった。それが最初の挫折です。

12月25日に会社を辞めて、27日からヨーロッパに行く仲間と合宿をしてたんですけど、隊長が家庭の事情で行けなくなってしまって。ほかの人もばたばたーっと行かないとなってしまってね。彼らは3カ月の有給を取ってただけ。でも、僕にしてみたら冗談じゃない、という気持ちですよ。

そのときも落ち込みました。僕の意識は常に山にありましたから。それはもう、ものすごい悔しいですよ。別の仲間から、3カ月でいいから一緒に行こうと言ってくれる人もいたんです。でも僕には、3カ月では意味がなかった。せっかく行くならもっともっと登りたかった。ヨーロッパは遭難救助の先進国で、その技術も学びたかったからね。それで、とにかく生活環境を変えようということで、群馬に引っ越して高崎のトヨタディーラーに入社したんです。そこで山をやめるつもりでした。やめてたんですよ、実際。行ってなかったからね。

なれそめと開業

女房は三条の出身です。末っ子なんですが、兄貴と僕が知り合いで。そんな縁です。群馬で結婚しました。僕は、山をやってたからお金がなくてね。安もんの指輪を買って、残ったお金で生活できるかどうかという感じでした。山に登ってる仲間はみな山にすべてをつぎ込んでしまうので、まともな結婚なんてできないですよ。

女房と共稼ぎしていたので、結構いい給料をもらってました。月に2、3回はぜいたくして食事に行きましたね。群馬ってものすごく米がまずいんですよ。新潟は米がおいしいから、群馬の米は食えない。それと、魚がない。だから、おいしいところを探し歩いて、よくあっちこっち行きましたね。そうやって遊んでいたけど、当時月10万円残ったんですよ。それが開業資金になりました。

昭和51年に群馬のトヨタディーラーを辞めて、商売するということで長岡に帰ってきました。そこで株式会社中野車両工業をつくったんですね。最初のころは、会社はあまりいい状況じゃなかったんです。どうやっていいか、僕自身わからなかったしね。

そんなとき、県内の山岳会の若い連中に山に誘われました。当時僕は、山の仲間では新潟県の伝説の人、という感じでしたからね。一緒に登りましょうと誘いがくるわけですよ。その若い連中がホープだったんですけど、その連中よりも僕のほうがうまく登れたわけ。それで一気に返り咲いちゃった。それでまた登りだして。やめられませんでしたね(笑)。40歳になる前の6年間くらい、またがーっと登りました。

このころ、経済評論家の長谷川慶太郎さんが書いた本で規制緩和について読んで、これからおっかない社会になるなと思いました。規制緩和というのは、自由競争ですよ。価格破壊ですよね。今でもあまりもうからないのに、そうなったらこの業界絶対にやばいな、という危機感があったんですよ。それで気分直しに山に行ってたんです。山に行くとスカッとするからね(笑)。

なれそめと開業